「やりたくない仕事」をお金のためにやっている状況に嫌気が差した時に考えたこと

お金のためや生活のために「やりたくない仕事」を選んでいることに嫌気がさしたときに

自分の中に感じたことや、生じた考えを書いています。

自分の考えをアウトプットする意味や、記録として残すためにも記事にしてみました。

これからの生き方や働き方を大事にしたいと強く思ったので、忘れないうちにと書き殴っています。

同じ作業を繰り返しているという気持ち

やりたくないという仕事を考えてみると

仕事のやり始めの段階において、不慣れだから嫌だと感じたり

仕事のやり方をまだ習得できていないから、反発心を持ってしまうというケースが考えられます。

しかし、徐々に仕事も覚え始め仕事のやり方に慣れてしまうと

同じ作業をただ繰り返しているだけだなと感じてしまうことがあります。

私じゃなくても他の誰かに取って代わられる

何年も何十年も同じ職場や就業場所にいると

新入社員が入社したり人事異動のために新しく人が入れ替わります。

そうした時に他の方達の仕事ぶりを見ると、別に私じゃなくても同じようにこなせるので

私がいなくても他の誰かができてしまうのだから

私がやる必要はないんじゃないのかと考えてしまいます。

そういったことに気づくと、嫌だと感じる仕事が誰でもそつなく出来るのであれば

私が嫌だと感じながらやっている仕事は、一体なんなんだろうと悩んでしまいます。

嫌な仕事でも我慢して仕事をすることが美德?

生活のためや生きるためといって、嫌な仕事でも我慢するという考え方に違和感を覚えます。

そんなことを書くと、精神が幼くて駄々をこねていると受け取られがちです。

しかし、よくよく考えてみると全く的外れなことでもないと思うのです。

本当に嫌で嫌でたまらなくて我慢し続けて仕事をするのは、本人や周囲の人間に対しても

良い影響を与えません。

職場の雰囲気、仕事に携わる関係者、お客様に対する態度などにも響きます。

仕事は我慢するもの、忍耐力が必要、労働することは善であるという考え方が

そもそも間違っているとも思うのです。

ただ単にそのような考え方をしておかないと、精神的にまいってしまうから

後付けのようにして都合の良い解釈に修正し、自分の心を騙していると思うのです。

嫌だと感じることに時間を充てている

人は寿命で死ぬ可能性は極めて低く、誰でも明日いなくなってしまう可能性はあります。

病気や事故、災害や事件によって命を落とすことは、誰にでも当てはまりごくごく身近にあります。

明日と言わず数時間後に命を落とす可能性もあるのです。

と書いても、全くピンとこないのが多数だと思います。

しかし、これは本当のことで誰もが気づいているけれど

触れたくない話題なんだと思います。

交通事故、傷害事件、病気、怪我など。

罹患したり被害者となって、何度も入院したり苦痛を味わった私としてはそう感じるのです。

誰もが自分の最後を考えたことがあるとは思いますが、結局考えもまとまらないし

考えても仕方がないとして、そのまま別の物事に心を奪われて流されながら過ごしてしまいます。

他人や周囲の人間が亡くなっても

その事実を自分に当てはめて考えることがなく

自分にも必ず訪れることだと、あまり深くは考えていないと感じます。

しかし、事実は事実です。

そのような事実があり、自分の時間がいつ消えてしまってもおかしく無いことに気づくと

嫌だと感じることに、自分の時間を充ててしまうのは勿体無い時間の使い方です。

いつ自分の時間が終わってしまうかもわからない現状において

強く嫌だと感じてしまう物事に時間を割いてしまうのは

なるべく避けなければいけないとも思います。

「やりたくない仕事」だけではなく

人間関係や惰性の流れでしかたなくしている取り組みに

時間を使ってしまっていることも同じことが言えます。

仕事について考えてみる

仕事って人間社会においてお互いに気持ち良く過ごせるようにするための役割を果たしているのに

誰かが嫌な思いをしないと社会がうまく回らないなんて、なんだか矛盾していると思うのです。

自分自身も社会の一員なのに、全く気持ち良く過ごせていなくてストレスフルだなんて笑えません。

そう考えると自分にとって嫌々やっている仕事は仕事ではなく、ただの苦行となっています。

仕事をやっていて苦行とも思わず

人間社会において良い影響を与えていると思えて

自分も含めて他の人間も互いに気持ち良く過ごせる

そういった項目に当てはまる仕事を叶えることが可能になれば

自分の時間の過ごし方の中に

嫌だと感じる時間を過ごすことは減ると思います。

カッコよく仕事について語るコラムに酔いしれたり

著名な人の言葉に賛同するのではなく

自分自身で仕事について向き合って

時間をかけて塾考する取り組みを始めてみなくちゃいけないと思うのです。

まとめ

簡単にまとめると

「やりたくない仕事」を我慢してすることは美德でもなんでもないこと。

「やりたくない仕事」をすることは

自分の寿命でもある時間を嫌な時間に変化させてしまうこと。

「やりたくない仕事」から「やってて充実感を得られる仕事」にするために

自分と向かい合って、塾考する取り組みを始めてみること。

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