他人に振り回される事にうんざりする。本当に自分を疲れさせる。

他人に振り回される事にうんざりしている私が、考えたことや思ったことを淡々と書いている内容となります。

他人に振り回される事でどんなデメリットがあるかを自覚し、同じ失敗を繰り返さないようにする目的でも書いています。

私と同じように、無自覚にも相手を振り回す方との付き合いでうんざりしている方に、何かしらの解決となるキッカケにももなればと思います。

望まない形として自分を消耗させる

他人に振り回されると、他人が解決しなくてはいけない問題を時に自分の問題として捉えてしまいそうになります。

そうすると、自分のやるべきことや、やりたい事に対する考えが頭の隅に追いやられ、相手の問題が頭の中を占領する。

自分のことに集中したいのに、他人の問題まで頭の中に登場されては、自分のことに考える時間や労力が割かれてしまいます。

マルチタスクをする事が苦手で、シングルタスクを好む私にとっては頭の中を混線させ、混乱させます。

私はどちらかというと一人でいる孤独を好み、社会生活を送る上で誰にも配慮しなくてもよい時間を過ごし、常識や習慣的なルールにのっとる自分を演出せず、素の自分をさらけだせるひとときが大好きです。

だからこそ、他人に振り回されてしまう事で、本来は支払わなくても良かった経済的なお金や労力もあれば時間、相手に対する気遣いといった配慮の精神的エネルギーが、望まない形として費やされることに不自由さを感じるのです。

「会」と名がつく飲み会などでは、行きたくもない空間で自分のお金を使い、そして相手を立てるという配慮も要求され、時間とお金と精神的エネルギーを費やす他にも、忍耐力も必要とする。

精神的なエネルギーを別の言葉として置き換えれば、それは気持ちで、いわゆる気疲れを起こす動機にもなる。

自分のペースで進めない事で不自由さを味わう

相手に振り回される事で気疲れを起こす原因は、相手のペースに自分を合わせ、自分の思い通りにならない不自由さを味わう事にある。

他にも、マラソンで例えると、無理のない自分のペースで走っている最中に、横から相手が突然現れて並走し、自分のペースをかき乱して疲れさせるという行為にも似ています。

このような事から考えて計画を練り遂行しなくてはならないのは、自分に無理のないペースで進めていけるように対策を立て、自分を防御するシールドを事前に築いておく事だと思う。

対策としてはケーズバイケースであって、その時々で臨機応変に対応できるそれなりの理由や行動をあらかじめ決めておく事が要求される。

判断を誤る

他人に振り回される事で、自分の軸とした判断を優先しない事で判断を見誤る事があります。

欲しくもない物を手に入れたり、食べたくもないものを食べたり、行きたくも無い場所へと足を運んだりと、自分が望む判断が下せないもどかしさを感じながら他人に流されてしまいます。

自分の判断ではなく他人の判断に身を委ねるというは、私からしてみると本当にたまったものじゃありません。

せっかく自分というものがあるのですから、自分の判断で選ばせてくれというのが本音です。

時には他人の判断による選択を選ぶ事で、新しい気づきや学びにつながる事があるかもしれませんが、気持ちの余裕があって敢えてそうしてみる事と、嫌々選ぶのとでは違ってくると思うのです。

他にも、他人に振り回される事で他人の判断を強いられた結果、得るものが少なくむしろマイナスだった場合は嫌な気持ちしか残りません。

思考停止となる

いつも相手に振り回される事に慣れてしまうと、無意識に自分が相手の思考や感情に染まる事に気づかなくなるという危険があります。

これは私も経験した事なんですが、自分の思い込みや決めつけなども重なり、自分と向き合って考えたり、素直な気持ちを知ろうとする取り組みを邪魔するので、その他大勢や社会的な流れの中に自分を埋めてしまいます。

そうすると困ってしまう事が起こります。それはいわゆる思考停止です。

思考停止のデメリットは、常に自分の身の回りの情報に流されることでもあり、また、自分に対して価値を見出せなくなったり、自分で自分を認めてあげる力が弱まったりするので、自分自身を大切に扱う事が減り、自分を小さく見積もってしまう見方をするようになります。

こうなる事でまずい状況を作り上げ、日々過ごす中で問題を抱えながらも、その問題にある原因が分からないまま、そして生き辛いと感じながら生活をする羽目になるというものです。

そして、思考停止になると視野を狭め、自分の可能性を拡げる活動へと踏み出さなくなるので、年齢を積み重ねる毎に精神的な自由を獲得する道へ進めなくなるという危険が潜んでいると思います。

危険だという認識に変わる

他人に振り回されることを心の何処かで良しとする。そんな気持ちが私の中にあるということを知ると、自分で許容しているという事実にハッキリと気づきます。

他人に振り回される問題に対していい加減な対処をしてきて、曖昧な判断をしていた自分の甘さを知る事にもなります。

これまで書いてきたように、他人に振り回される事によって受けてしまうダメージを嫌だと思いながらも、対策を立てて実行しなかったばかりにそのダメージを自ら受け入れるという、矛盾を引き起こしていることにも気づきます。

矛盾なことをしている自分を知った時、ちゃんとしろよと思ったり、甘さを無くして認識を改めないといけないと自分にプレッシャーをかけます。

心の中のどこかで、他人に振り回される事に害はないと信じていた自分がいたことも自覚するのです。

他人に振り回されるという問題を軽く見ず、危険なものを扱うような態度で接していこうと意識を改めたいと思います。

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