経済的なお金があれば本当に自由が手に入るのか?

お金を手にして経済的な自由を手に入れたとしても、次に抱えてしまう新たな問題が浮上してきます。

そういった他に考えられる問題も含めて、お金や他の要素を絡めて「お金があれば自由なのか?」について書いています。

お金の問題で気が沈んでいる方

経済的な自由を得たい方

に強くお伝えしたい内容となっています。

精神的な自由

記事の冒頭で書いた新たな問題の1つは、精神的な自由を求めるということです。

精神的に束縛されてしまう事柄が増えて心身を蝕み、お金があっても苦しいと感じる時間を過ごすことで、その考えから脱したい精神的な自由を求めます。

自分の中に障害となっている考えが常に在るというのは、肉体的にも支障をきたして生活の中にも問題を生み出してしまいます。

お金があっても精神的な自由というのは本当は買えないのかもしれません。

社会的な自由

他にもいくらお金が沢山あっても、社会的な立場を追われるポジションにいれば気が休まることもありません。

社会的に自分の存在が不明瞭なケースで、自身の存在を他者から否定されたり対等な立場として認識されないケースがあります。

そうするとお金をたくさん持っているだけでは、社会的な評価が得られずにぞんざいな扱いを受けたりして

社会的な評価が低いままでは社会的な自由とは無縁となり、お金の扱い方を間違えば周囲からはただの成り金だと思われてもおかしくありません。

日本で生活し社会的な自由を手にするには、お金以外のある種のステータスとなるものを示す必要が講じるとも考えらます。

経済的、精神的、社会的な自由の3つを手に入れることは困難を極める

これまで書き綴ってきたことから考えを述べてみると、この3つの自由を手にするのは困難だという事です。

そして、この3つの自由を手にしている方はいるのかもしれませんが

世界的な人口の割合から考えてみると、およそ少数なんじゃないかと予想できます。

ある種の特別な立場の方だけに限定され、その特殊な方のみこの3つの自由を手にしているのかもしれません。

他にも考えられるのは、3つの自由を手にしている方はこの地球上にはどこにも存在していないと考えられることです。

初めから求めていない

また、この3つの自由をはなっから求めていない方もいると考えられもします。

人は社会的な存在として進化してきたという考え方からは、真逆な態度と言い換えられます。

お金も情動的な面も社会的な評価も必要とせず、ただ自分の没頭する事のみに焦点を当てて過ごしている方と出会う事があり

ある種、ゴータマのように渇愛する部分を絞っていると受け取れます。

自身が没頭し心を踊らせて夢中になれるコツのようなものをマスターしているようで

その様な方を観ると取り組む対象に関係無く、いつでも面白く作業を進めているんです。

「お金という観点から考えた自由」というものから少し離れてみる

これまで多くの観点から見つめてきましたが、お金という観点で自由を計るのはなんだか無茶なことだと思ったりしませんか?

何よりお金が沢山手に入れば自由だという概念が、一種の思い込みだったり植えつけられた考え方なんじゃないのか?と、疑問を持つことにもなりませんか?

お金を求め過ぎると目が眩んで他の大切なものを見えなくさせることもあると思いませんか?

少し離れてみると気づける機会が得られる

ここでちょっと話が変わりますが、多くの方と同じく私もお金の問題に苦しんだことがあります。

そこでお金に対して執着を強めることから離れてみると、気づけなかった部分に焦点が当てられるようになったり、お金に対する問題を冷静に捉え直す機会を得られたと感じます。

お金に対する学びを受けていない日本の教育を考えると、こういった機会がお金について真剣に取り組むための絶好のチャンスだと身を持って痛感もします。

まとめ

本当にお金が沢山あれば自由なのか?と、自分に問いかけてみてもらえたらと思います。

そこで自分なりに明確に答えられなければ、お金について真剣に向き合ってみるチャンスだと思います。

なんだかまとまりの無い散文の様な記事となりましたが、「お金と自由」というキーワードを材料にして、一度自分なりに考えてみる機会を持つことは大切だと思います。

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