常識にとらわれ過ぎないバランスを保つ事で、思い込みから抜け出し別の視点を切り開く

常識だとされている考えばかり優先して

「自分の気持ちを優先させる事ができていない!」と感じてしまうことはありませんか?

もし強く感じてしまうのなら、自分の中で常識というものを、揺るぎない絶対的なものと捉えているのかもしれません。

この記事は、常識に縛られ過ぎることで身動きが取れなくなったり、悩みや迷いがある方に向けて書いています。

それでは常識との付き合い方について、思うこと考えていることを私なりに書いて見たいと思います

初めに

常識にとらわれ過ぎている場合、日々の仕事や生活などで忙しく

ゆっくりと落ち着いて考える時間を確保できていない傾向があります。

また、疲労感からうまく頭が働かず、自分で考える力も低下し考えも上手くまとまらないと思います。

そのため、この記事を読んでいただくタイミングは

少しでも「ほっ」と、心を落ち着かせる事が可能な場所や時間、体調を考慮して読んでみてください。

常識は当然なものとして、考えたり判断してしまう

常識という言葉について、まずは私なりに考えている事も交えて説明してみたいと思います。

読んでくださる方も、常識について疑問を持ちながら読み進めてみてください。

まず1つ目は

多くの人が当然なものとして考えたり判断する事を常識としている事です。

誰もが皆同じ傾向に考えたり、判断したり、感じるだろうと。

そのように多くの人が共有して、当たり前だと認識している事を常識としてます。

「そんな当たり前の事なんだから、いちいち考えなくてもいいよね」

として、分かりきっている事としてして扱う事を常識としています。

多くの人の同じ意見を優先して作り上げられている

常識が作られるのは

同じ傾向に考えたり判断する人の数が多いことで組み立てられています。

多数派の人の意見を優先した方が、人の社会はうまくいくという理由なのか

同じ意見を持つ多くの人達の考え方が優先されて、常識が作り上げられている面があると思うのです。

常識に正しさや誤りは重要視されていない

個々の一人一人が、自分で考えて導き出した意見では無く

「みんながその様な意見だから、私もその意見に便乗しよう」

と考えて、賛同して作り上げられた常識もあると思います。

そのため

自分で考えずに、他人の意見を自分の意見としてかさねてしまう人が大勢いると、

正しさや誤りを基準にして常識は作り上げられる事はありません。

私たちが今共有している常識の中にも、正しさや誤りといった判断基準の元に作られていない可能性もあると思います。

時代の経過とともに常識は変わる

その時々の時代に生きている人の傾向によって

良いこと悪いこと、善悪といった判断基準も変化してしまいます。

そうなると

時代の経過とともに、過去に作られた常識が悪い常識とされ

その時代に生きている現代人の良いこと悪いことの判断基準の元に、常識を作り変えています。

国や文化の違いからも常識が変わる

自分が住んでいる都道府県や国、そしてその土地で生まれた文化の違いから

その場所に住んでいて常識だと考えられていた事が

異なる場所に移ることで、反対に非常識になってしまうということもあります。

常識は限定的でとてもあいまいなもの

これらのことからお伝えしたいのは、常識とは固定されてガッシリしたものではなく

ふわふわと宙に漂っている様なもので、変幻自在な雲のような存在です。

そして狭い範囲だけに限定され、その中だけでしか通用しないので

あいまいで正確さがないと思うのです。

お知らせ

記事が長くなってきたので、続きは次の記事に書いていきたいと思います。

次は常識にとらわれ過ぎてしまうことで、自分を危険にさらしてしまう事を書いていきます。

それではもうしばらくお待ちください。

続きはこちらです

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